katsuyalog

備忘録として書いています。記事は生成AIを使用して書かれたものもあります。

あんまり真面目に生きすぎない

周りを見て自分らしく生きている人を見ると尊敬する。

自分はこれがやりたいからやってるんだーって本当に思って動いている人を見るとすごいと思うようになった。

 

大学生のときに私はアイドルオタクで、欅坂46にドはまりしていたときに、友達に「熱中できるものがあってうらやましい」と言われた。

その当時はよくわからなかったが、今になってその友達の言っていることがわかる気がする。

アイドルにハマるとライブやグッツ、握手券などにお金がかかる。それでもアイドルにハマっているから、バイト代をそこにあてた。

今考えるとなんでそこまでしてたのだろうと思うけれど、それはそれで楽しかった思い出になっている。

なぜ今友達の言っていることがわかるようになってしまったのか。

それは、周りの目を気にしたり、お金のことを考えるようになってしまって自分がやりたいと思うことを制限するようになってしまったからだと思う。

大人になったといえば聞こえはいいが、自分の気持ちを優先できなくなってしまったというデメリットの方が大きいかもしれない。

 

個人のタイプによるけれど、私はどちらかというと心配性で周りから怒られたくないという気持ちが強い。

こうしたほうがいいだろうなということがあっても、周りに面倒をかけちゃうしやめとこうかなとなることが多い。

今の時代は年齢が若ければ、働くことに困ることはまずないと思う。だからこそいろいろチャレンジすればいいのに、会社は副業が禁止だしなーとか、これやってみたら面倒ごとが増えるだけだなーとか考えてしまう。

手軽にブログやYouTubeで発信だってできるのに、やってない。自分の意見を発することで、誹謗中傷や指摘が飛んでくるかもしれない。

いろいろ考えてしまって、結局やめてしまう。それの繰り返し。

 

頭の中で自分を正当化して、適当な理由を付けてやめてしまう。(これはダイエットや勉強でも同じかも)

何かを表現するということは、誰かを傷つけることになる。それは当たり前のこと。誰かの正義は誰かの悪。

そう考えると自分は保身に走っているだけなのかなとも思う。傷つきたくないから発信しない。誰かの逆鱗に触れてしまうかもしれないからやらない。防衛本能が働いているだけなのかもしれない。それはそれでいいのかもしれないが、その考え方のせいで、自分で自分のことを苦しめている気がする。

建前が強すぎて、本音で話すということができていない。

 

最近Youtubeでは、「GOAL-B」というコーチングをやっている会社や「粋塾」という自立支援のチャンネルの動画を見ている。

なんでこの動画を自分は見ているのだろうと考えた時に、自分の気持ちに素直に生きれていないから、それを動画で補っているんだろうなと思った。自分のやりたいことはなんだ。ちゃんと気持ちでぶつかっているのか。そういったものが今の自分には足りない。

 

何かやりたい→迷惑かかるなー、お金がかかるなー。→やめよう

何かやりたい→よしやろう→迷惑かかるから、こうしよう。お金がかかるから稼ごう

こういう思考に変換していきあい。

 

あまり真面目に生きなくていい。自戒を込めて。自分に素直に生きていく。